Archive for the '30歳までの道のり' Category

21st 5月 2006

OLだった私が、英語で政治学を学ぶ

初めての授業
私はノルウェーの中でも、特に興味を持ったのが、外交政策。
国連の負担金が一人あたり、世界で一番高いのです。
しかし、日本と違い、国連の安全保障理事国に入れろと躍起になったりしない。
何のメリットに考えてるんだろう?
そこで、専攻したのが
International relation and foreign policy 略してIRクラス。 
クラス初日。どうして自分がこの授業を専攻した理由を、クラスメイト40名の前で発表することに。
アメリカ、ロシア、東欧各国、旧ユーゴスラビア、ドイツ、フランス、、、世界各国の生徒たち。
ネイティブイングリッシュスピーカーズでは無いにもかかわらず、みんな英語が「超」流暢!
よくよく聞けば、このサマースクール自体3/4がスカラシップ取得者。中には現役ノルウェー在中の大使館職員も。
英語はマスターしていて当たり前だったのでしょう。
しかも、先生たちもノルウェー人なのに、早口で聞きなれない言葉を使いまくる。
「どうしよう!!」やっていけないかも。
私はクラスに出席していいのでしょうか?
寮に帰り、ルームメイトのキャサリン(イギリス人)の力を借り、私は先生に切々とメールをしました。
「私は他の学生と違って、現役の学生ではありません。
会社を辞めて、生涯教育のつもりでこのサマースクールに参加しました。
このすばらしいチャレンジを続けたいのですが、英語力が心配です。
このままクラスに出席してもいいのでしょうか?」
さすがIT先進国。先生からすぐに返信。
「香保利は、唯一のアジア人。クラスにとっても大切だからぜひ出席を」
それでもしつこくメール
「F(失格)以上の成績を採る自信がありません」
次の日クラス終了後、先生がじきじきに話かけてくれ。
「僕が必ずFでは無いことを約束する」
「Eということでしょうか?」 ←ずうずうしくなってきている
「分かったD以上を約束するよ!だから絶対あきらめちゃだめだ」
着物でクラス初登場
毎クラスごと、自分たちの国について発表をする時間を与えられていました。
日本はもちろん私一人。。。
そりゃあナーバスでした。
でも、Dを約束してくれた先生の為にもがんばらないと。
ルームメイトのキャサリンは、本当に面倒見がよくて、自分はIRクラスではないのに、いつも私の勉強を助けてくれました。
プレゼンテーションの英文を手伝ってくれ、さらに発音まで直してもらいました。
さあ発表当日。
いつもより1時間早く起きて、やったこと・・・
着物を着たのです。 
そして、発表開口一番。
「日本の民族衣装“着物”をこのプレゼンテーションのために着ました。
これに免じて、英語の発音は許してね」
クラス中、拍手喝采でした。

(IRのクラスメイトと私の30歳の誕生日に。 浴衣を着て出席しようと、時間が手間取り10分遅刻。
クラスのドアを開けたとたん「Happy Birthyday」の歌声が! 青春!?)

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17th 5月 2006

留学前に準備しておいてよかった事

話の分かる国
2005年6月24日。
私はノルウェーの首都オスロに到着しました。
明日から始まるオスロ大学でのサマースクールに参加するために。
2004年12月中旬の退職願いを提出。1月末に退社が決定しました。
引継ぎを行いつつ、英語の勉強をスタート。
まずはTOFELの壁を乗り越えなくては。
そして、エッセイ書きや推薦状の記入のお願いに奔走。
そのかいがあり、結果3つの教育施設から入学許可を頂きました。
短期のオスロ大学サマースクール、長期のカレッジと大学(ただし聴講生)1つづつ。
しかし、ノルウェーから帰国後、どうその留学経験を将来に活用すればいいのが見つかりませんでした。
留学後人生観は変わるとしても、どうやって就職にそれを使うのだろう??と悩みに悩みました。
ノルウェーの厳しい冬を乗り越えるには、相当なモチベーションが必要だとも。
そのモチベーションの源となる、留学後のビジョンが見つからなかったのです。
2ヶ月考えたすえ、ひとまず短期で行ってみて、それで何が自分に起きるか見てみよう結論をつけました。
なんと、この判断を出すまでに、大学側は入学の返事を待ってくれたのです。
「大切な決断で、今後の人生に関わるので時間が欲しいと」と説明したところ、
締め切りを延ばしてくれたのです。
こういったところが、私の好きなノルウェーらしいところなんです。

留学前に準備しておいて良かったと思うこと

何かしらのお役に立てれば嬉しいのでお話させて下さい。
1. その国の教育が分かる本を読む
私は「男女平等の本」という、ノルウェーのジェンダー教育についての教科書を読みました。それにより、入学願書などを記入する時の「ツボ」を会得した気がしました。そしてさらに、ノルウェー人の論法を覚えたような。。。
2. その国のベストセラーを読む 
私は日本でもブレイクした「ソフィーの世界」を読みました。
会話の切り口にもなりますし、
考え方の違いの勉強にもなります。
3. できるだけその国の友達を作る 
ノルウェーの情報が入りにくいので、彼らが教えてくれる生の情報は本当に役立ちました。
日本に住んでいる・その国に住んでいる関わらず、
インターネットサイトを調べれば、
日本ファンの海外の方は多いのできっと見つかるはずです。
4. その国の研究サークルに入る 
   私は2つの北欧研究会に所属。
その所属をしたことも入学願書のPRにつながったと思いますし、
ノルウェー留学をされた方に会うきっかけにもなりました。
5. 自分の国の文化を言葉ではなく紹介できるもの用意していく!!
他ははずせても、これだけはぜひ行って欲しいです。
私は、茶道や料理も用意したのですが、一番よかったなあと思うのは、本当に「着物」です。
それは設備が必要なく、着ているだけで「日本人」と表現できるから。
(オスロ市主催の歓迎レセプションにて、ポーランドの美女軍団ともに。このレセプショ中、ひっきりなしに写真のお願いが。そしてその後みな友達になりました。
彼女たちとは、お互いのボーイフレンドの話までするなかに。
右端のマグダレナの家に、サマースクール後、泊りにも行かせてもらいました)
さあ次回からは、どう付け焼刃勉強の私がノルウェーの大学で、サバイバルしたかをお話させていただきたいと思います。
お知らせ・・・
浴衣メールマガジンの2回目の配信がさせていただきました。
「着る」「見る」「遊ぶ」を総合的に記入した4ヶ月限定のメールマガジン。
教科書や人から聞いたのではなく、私が実際に経験したことに基づき、
浴衣の着こなし方をお話しています。
よかったらぜひ読んでみてください。
ご購読は以下から

http://2daime.kimono-sakaeya.com/?eid=349921

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10th 5月 2006

なぜノルウェー?

なぜノルウェー?
一番聞かれる質問です。
帰国後、生活と自然を大切にするノルウェーについて、情報を集め始めました。
そして、ノルウェーを知るごとに、より興味が膨らみ、心の琴線に触れるのです。
実は、石油産油国で、第2位の産油高を誇っていること。
国連の調査による、人間の豊かさの指数が4年連続1位のこと。
世界で一番男女平等が進んでいること。
王室があり、その王子様のお妃は、野外コンサートで出会ったシングルマザーであること。
国連で「持続可能な開発」を説いたGro Harlem Brundtland元首相の国
EUに加盟していない
などなど・・・
日本の「経済至上主義」的な政府の政策と、正反対の「人権」を尊重した政策。
石油のため、お金はあるのですが、それをあえて開発には使わない。
開発すれば、自然が無くなる、そうなるとかえって自分たちの生活を悪化させる。
短絡的に考えれば以下のようになりがちです。
お金がある→海を埋め立てる→経済が活性化→給料が上がり・消費が刺激される
しかしノルウェーでは以下のような思考の国民が多い為、現在の時間・環境ともに健全な状態があると思うのです。
海を埋めたれる→自然が悪化する→生活に支障が生まれる

この考えを導き出すに至った考えはどこに由来するのか。
「確かめなくっちゃ」
←オスロの繁華街にある港。海の水が透き通ってます。
辞表
短期の滞在ではなく、向こうで生活をしたかった。
そのための選択肢は「留学」だけでした。
調べに調べまくり。(途中悪徳業者につかまり、お金も騙し取られました。「北欧」留学される方、お気をつけ下さい!自分で調べるのが一番です)
12月初旬、4大学へチャレンジすることに。しかし、出願手続きを見て愕然。
推薦状が3名から、エッセイ、そして英語力・・・・
だめだ。このままの残業時間ではこなせない。しかも、「成功は準備にあり!」という考えを持つ私。この一生に一度限りのチャンスを最大に満喫するためには、色々な準備をしておきたい。
一番早い締め切りを持つ大学が、確か1月末。
気持ちは決まっていました。
だから母にも、誰にも相談しませんでした。
12月中旬の金曜日、深夜に帰宅後、辞表を書き始めたのでした。

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06th 5月 2006

さよなら JTB るるぶの編集というタイトル 私の持つ日本人女性の概念

ノルウェーとの出会い

帰国後、母を含めた周囲に「退社をして、ヨーロッパへ行きたい」と相談を始めました。
しかし、周りは猛反対。
「どこの国に行きたいかもはっきりしないでどうするの?」
「何をやりたいのか漫然としている」
「帰ってきてどうするの?」
「帰ってきて今以上の仕事がもてると思うの?」
「今のポジションをすてるなんて、もったいない」
そんな話をされるうちに、気持ちは沈静化。また日々の生活に慣れていきます。
しかし、何冊かの本が一気に出版され、仕事の流れに空白が出来たその年の9月。
もう一度ヨーロッパへという気持ちが芽生えます。
折しも、ノルウェー人と結婚をした高校の後輩から、遊びにこないかという絵葉書が。
「行ってみよう。行ってもう一度自分の気持ちを確かめよう」と、すでに秋の気配が漂うノルウェーへと出発します。
日本と正反対の国
直行便が無いため、デンマークで一人トランジットをし、ノルウェーの首都オスロへ。
空港を出ると、友人夫妻と、その男友達が出迎えてくれました。
次々と私を抱きしめ、遠方からの客をねぎらいます。
その後、友人の新居で歓迎のパーティー。何もかもが手作りのもてなし。
「ここでは、贅沢品はすべて税金が高いの。例えば外食、タバコ、お酒。だからほとんど家でご飯を食べるんだ。今日は旦那が、香保利さんの歓迎には、ノルウェーサーモンだっていって、夕食を作ってくたんだよ」
そして、ノルウェー人の生活を身を持って経験させてくれました。
銀行にお勤めの旦那様はだいたい4時には帰宅。そして一緒に自宅でご飯を食べます。
家にいる時間が長い分、家の居心地を良くしようと、たゆまぬ努力をしています。例えば夕食後はキャンドルを灯したりなど。
なんと自分の日々の生活と違うことか!心洗われるような気がしました。
そして、もっとすごいことは、一番大きな繁華街からさほど遠くない駅に、きれいな湖と森が残っていているのです。
どれくらいきれいかというとビーバーが住めるくらい。そしてその湖の水を水道水にしているのです。
さらに印象的なのは、消毒薬を入れた方が体に悪いと、水道水は自然の水そのままなこと。
だから水道水をコップに入れると、やや黄色がかっています。その水でいれたコーヒーのおいしいこと!
ストライクゾーンでした。。。

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05th 5月 2006

大切なものにさよならする勇気  29歳退社を決意する パート4

自分より肩書きが大きい
辛くても2年間続けることが出来たのは、入社前の夢「国内旅行の普及」に努められたから。
そして、「何かを生み出す」という面白さ。
さらには「編集」という言葉のマジックでした。
「るるぶの編集」といえば、名刺一つで色々なことに挑戦できました。
行ってみたい場所に行く、あってみたい人に会う。やりたいことが取材として実現可能でした。
東京・北海道・沖縄・長野エリアを担当し、実に13冊の「るるぶ」を編集。
取材では、オープン前の六本木ヒルズに始まり、函館・宮古島・久米島まで色々な所へ行きました。
しかし、途中から「編集」と名乗れば、あらゆる面で優遇されることに、違和感を感じ始めました。
自分よりも、自分の肩書きの方が大きい。
水ぶくれ状態の日々。肩書きという水を抜けば何もなくなってしまう・・・。
その空虚さを埋めるためか、何かにあせっていたのか、私は本当によく残業して働いていたな~。

最後の担当図書「るるぶ木曽伊那」。こういった小さな観光地を紹介して、応援したかったので、担当できて本当に嬉しかった。
私の今の世界観を作った西洋の国
国内旅行の普及に努めたいと思っていたのに、編集になると国内旅行イコール仕事。
常に仕事が頭から離れなくなりました。
「あ!この観光地のこういった企画は、あの企画でこう使える」とか、「このホテルのキャッチフレーズは心に残るな」とか、仕事の延長が続きます。
そんな、2年前のGW。仕事から完全に離れたいと、私は知人を訪ね西ヨーロッパへ一人旅に出ます。
イギリス・ベルギー・ドイツと回るうちに、日本人と西欧人の、時間の使い方の違いに驚かされます。
5月の春の日和に誘われ、オープンテラスでお茶やお酒を楽しむ西洋の旅行客・地元人。
一度カフェに入れば1・2時間、ゆっくりと語らいを楽しみます。
私のようにあくせくしない。
その姿を見つつ、思ったのです。
今の国の基盤、例えば国が憲法や法律を制定すること、そして婚姻性や教育。我々は色んな事を西洋から取り入れてきた。
だからもしかすると、今の日本社会では、彼らのような時間の使い方、考え方で生きた方が、生きやすいのではないかな?と。
彼らと話していると、私は彼らから同情を受けました。「そんなに仕事をして、自分の時間じゃないじゃないか」と。
「編集」だからって、すごいと言われないのです。
そしてひらめきが走りました。
「あ!そうなんだ。他人にどう評価されるかよりも、自分で良いと思って生きた方が彼らには良いのだ」

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24th 4月 2006

大切なものにさよならする勇気  29歳退社を決意する パート3

泣かず飛ばずの編集時代
広告営業では大きな仕事を任せれていたものの、編集部では居場所がない気持ちに苛まれました。
4年目でも、まったく編集のことは素人。自分より後輩の社員に教えられて、なんとか仕事を覚えて行きました。
後輩君が仕事の流れが分かるようにと、気を使ってモデルとして取材に同行させてくれました。「るるぶ横浜03-04」から
正直、今までの評判があった分、居たたまれなかったです。
だから、早く仕事を覚えたい、良いところを見せたいと必死でした。
他の人よりもいっぱい働かなくちゃと思い、連日終電になることも。
本当に肉体的に疲れてきりました。

立場論になりたくないけど・・・

精神的にはもっと辛かった。
それは、今までと全く価値観を変えなくてはいけないということ。
立場論になりたくないけど、やはり広告部の考えのまま仕事を進めることができませんでした。
今まで正しいと思っていたことが根底から覆され、自分がバカに思えた時代です。
他の人は当たり前に考え付いてできるのに、どうして私には出来ないのだろうと。
皆に迷惑をかけているのではなかろうか。
そして、上司からも嫌われているのではないだろうか?というネガティブな気持ちがいつもいつも付きまとっていました。
2回ほど、山手線を見つめていて「あーこのまま飛び込んじゃえば、明日は会社に行かなくて良いのだ」と真剣に考えました。
暗い話しの後に何なのですが・・・
先日ご紹介をさせていただいたInternational Kimono cafe @ 六本木。最新確定情報が次の通りとなりました!
満席の場合は予約の方を優先いたしますので、ぜひご予約のうえ、お運びいただければと思います!
International Kimono cafe @ 六本木
キモノでGirls’ Talk
この度、こちらのブログからヒントを得まして、キモノでリアスにGirls’ Talkできるカフェを1日のみ開設させて頂きます。
国籍に関わらず女の子同士、KIMONOで語り合いませんか?
日時:4月28日(金) 18時~21時
場所:リラクゼーションルーム seabed 03-5411-5664(電話当日のみ)
東京都港区西麻布3-1-20 Dear西麻布3F
http://www.seabed.jp/m_index.htm
六本木駅 C-1出口から徒歩4分 六本木ヒルズから徒歩1分
チャールストンカフェオリエンタルの入っているビル3階
(エレベーターでお上がりください)
抹茶とお菓子+簡単な着付けサービス(お着物は当店からリサイクル品をお貸し出しします) 2500円(事前予約2000円)
外国人の方と一緒の場合 2000円 (事前予約1500円)
キモノでご来場の方 1500円 (事前予約1000円)
26日(水)までにメールにてご予約いただいた方は、
一律500円割引いたします。
到着時間・人数をメール こちら までご連絡ください。
※1時間以上ご滞在の場合、1時間ごとに1ドリンクのオーダーをお願い致します。(全て500円 ソフトドリンクのみのご提供です)
その他のGirlsからのご協力&サプライズプレゼント
小泉首相の晩餐会でも歌われた オペラ歌手 竹林 加寿子http://k15.wablog.com/さんが 歌声をスペシャルプレゼント (5/4(木)17:30~19:30に渋谷でコンサートあり)
元パリコレ出品作品縫製者 佐藤 実希子http://kongetu.kimono-sakaeya.com/?eid=219468さんのキモノ地をつかった作品の展示&オーダー受注会
ヒーリングアドバイザー 龍崎 生薫子http://www.link-jp.com/m_diarys/scr3_diarys.cgi?cat=4667soinさんにより プチ顔指圧 (1回15分 1000円)
Supecial thanks to プランニング&コネクター 浅見 哲子http://sammy123.dokyun.jp/archive/l-156660.htmlさん
主催・問い合わせ先
さかえ屋呉服店  http://www.kimono-sakaeya.com/  048-641-8137   

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19th 4月 2006

大切なものにさよならする勇気  29歳退社を決意する パート2

営業からのスタート いくど涙を流したか
入社後、編集ではなく、広告部広告営業課に配属されました。
編集とは違う、もう一つの出版社のエンジンが広告。それを集めるのがお仕事です。
詳しくは私が指導社員をさせて頂いたIちゃんがこちらのサイトでお仕事を紹介してくれています。
なんでも自分の思い通りにはいかないのが社会人。しかも営業にとって、「お客様は神様」!
しかし、大学を出たばかりで「若~いオンナノコ」を地で行っていた私にはそれが理解できずに、新人時代なんどとなく涙に咽びました。
それでもIちゃんが書いているように、「比較的仕事の自由度が高く、自分がやりたい!と思った事にどんどんチャレンジできる環境」だっため、「辞める!」と本気で思ったことはありませんでした。
(口では「辞めたい」といっていましたが、あれは「辞めない」ためのおまじないでした)
その環境の象徴の一つがこれ。このウェブサイト“[RB] for tokyo ”は雑誌の内容をダイジェストで無料掲載しています。そんな太っ腹の部署です。
その太っ腹さからか、何かの間違いか、私は入社3年目で、国内最大広告代理店の担当に任命されます。
プレッシャーを感じながらも、「会社が自分を認めてくれている」と期待感を励みにし、残業も厭わず、仕事に燃えていました。
「広告営業は天職かもしれない!一生この会社でがんばろう」と本気で思っていた時代です。まして退社して、呉服屋になるという選択肢は全くあり得ませんでした。
新しい惑星に
広告営業として一番ノリノリだった4年目。
いつも疑問に思っていたこと、そして入社前の夢。
「編集の仕事と気持ちを知りたい」その思いが異動願いの筆を取らせます。
編集と広告は太陽と月。一つの意見を通せば、かならずどちらかが退かなくてはならない。
対立する利害関係。その解決の糸口を自分で探したかった。
若さゆえの決断でした。そしてそれを会社側も許してくれます。
3月の人事発表の日、内線電話で呼び出され、会議室へ。
「編集部で今まで思っていたことやってみろ」
人事の方から励ましの言葉をもらい、私は新しい惑星への切符を手に入れました。
そしてようやく入社前の夢、国内ガイドブック編集に携わる事となります。
夢に胸を膨らませていたのもつかの間。
広告営業では認めてもらっていても、編集部ではただの使えない四年目社員なのです。
そこから自分の居場所を見つけなくては!という焦燥にしばらくさいなまれ続けます。

 初めて編集部で担当した「るるぶ東京ベストテン」。製作過程中、1日中泣いて仕事にならなかった日もありました。しかし今では私の宝物の一つ。

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15th 4月 2006

大切なものにさよならする勇気  29歳退社を決意する パート1

24歳までに嫁ぎなさい
母は私に高校卒業後、女子短大への進学を勧めました。
「女が学を積みすぎると、結婚に差しさわりがある」というのが理由。
「娘には苦労のない、優雅な主婦の生活を送って欲しい」それが「娘の幸せ」らしいのです。
短大を卒業し、腰掛OLをしながら花嫁修業、そして24歳までには、大手の会社のサラリーマンもしくは公務員に嫁ぐ。
一方私は全く別の未来を描いていました。
父の死後、母が働いていてくれた事。そのおかげで、貧乏だけど、そのまま私立の中学校・高校で勉強が出来ました。
いつか私が結婚相手を亡くしても、子供に同じ事をしたい。
そのためには、働く女性になりたいと。できるだけ大きな会社で、総合職で働きたいと。
それには四大卒業が条件だろう、だから四大進ませて欲しいと説明をします。
結果、母は私の希望通りにさせてくれました。
嬉しいと、人間は本当に飛び上がるモノでした! 第一志望に入社
大学を無事5年!?で卒業。
1999年、23歳の私は、第一志望だったJTB出版事業局(現 JTBパブリッシング)に入社しました。
国内旅行の楽しさをもっと伝えたい。海外旅行もいいけど、旅行の楽しさは、コミュニケーションがあればこそ。だから言葉が通じる日本の旅は楽しいし、それに歴史や文化を知れば、たった1つの石ころが観光名所に早変わり。そう考えると、その情報を発信できるガイドブックって、なんてすごいんだろう!
そんな風に海外旅行全盛の時代、国内旅行の認知普及に努めたい、と国内ガイドブック編集を目指していたところ、一番行きたかった会社から内定をもらいました。
内定を頂いたとき、冗談じゃなく、嬉しすぎて飛び上がりました。
だから、本当にやりたかった仕事だったので、それを手放すのは本当に勇気がいることでした。
たまに「会社を辞めて留学をしたいけど、勇気がありません」とお話しをお伺いします。
私も正直そうでしたし、何でも「さよなら」は勇気のいることですよね。
だからしばらく、私がどうやって「勇気」を振り絞ったか。「留学か」「仕事か」に揺れ、「さよなら」を決意した経緯をお話しさせていただければと思います。
さて、本日は長板中型染めの浴衣のイベントがありました。
この詳細については、http://2daime.kimono-sakaeya.com/こちらのHPにて近日公開させて頂きます!(デンマーク留学中のT君待っててね~)
ぜひ江戸の伝統&芸術とは言わずにはいられない、手仕事の浴衣についてご紹介させてください。
 JTBでお世話になった先輩3名が、今日のイベントに遊びに来てくれました。編集者は好奇心の塊!!退社しても、こうやってお付合いを続けて下さる皆様に本当に感謝です!(現在JTBパブリッシングさま ご来店者カウント 9)

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10th 4月 2006

家を継ぐなんて1,000%ありえない! 最終回&お知らせ

父の死 泣く母 泣かない私
父の病気が発見されたのは、私が小学校3年の時でした。
病名は「肝臓ガン」。
本人には告知はされず「初期の肝硬変」と伝えられました。
当時、「肝臓ガン」と言えば、死を意味していたからです。
緊急手術ということで、即入院。
しかし開腹してみると、転移が激しく、何も処置ができませんでした。
そして、お医者様から「もってあと4年」という宣告を受けます。
黙って耐えるということが出来ない母は、兄達が別に所帯を持って話すことが出来ないため、私に父の経過や容態を包み隠さず話しをしました。
反抗期・思春期だった私はもっと母と距離を置きたかった。そして、自分の世界に閉じこもっていたかったのですが、そうとは言えず、母の話を聞いていました。
papa033.jpg
3年10ヶ月の闘病の末、父は息を引き取ります。昭和63年、2月4日はとても寒かったと記憶します。
越智 榮 享年62歳。昭和2年に生まれ、昭和の終わる1年前で他界。
父の臨終に際し、母は泣き叫びましたが、私はどうしても泣けませんでした。 

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05th 4月 2006

《書き直し》家を継ぐなんて1,000%ありえない!パート3

「どうして私の家はサラリーマンじゃなかったの?」
この思いは、「寂しい」という理由だけでは、ありませんでした。
日本の文化を扱う仕事は、何か古臭くさく、小さな自営というのもかっこ悪く思えたのです。
「サラリーマン」という響きは、幼心にとても都会的に思えました。
だから、中学生くらいまで、友達に両親の仕事を聞かれるのが嫌で嫌で・・・

共感してくれた若く・美しい盆栽園の五代目さん

この気持ちに、共感を下さったのが、江戸時代から続く盆栽園の五代目の山田 香織さん。

メディアでもご活躍で、現在の盆栽ブームの火付け役でもあります。
山田さんのブログ http://kaorijobs.exblog.jp/
山田さんと私には、僭越ですが多くの共通項があるため、お会いさせて頂きました。
このようなビッグな方との対面は、私のような駆け出しの二代目にとって、またとないチャンス!
そこで、記事として残して欲しいと、「埼玉新聞」さんにお願いに伺いました。
すると、なんと家庭欄でこのように大きく取り上げ下さったのです。
よくよく考えると、この時の自分の行動力に驚きます。
あの時は留学から戻ったばかり。
自己表現することの大切さを肌身をもって学んで来たので、
こんなチャンスを逃しては!と思ったのですね~。
・・・あ!話が、脱線していますね。すみません。。。本題に戻します。
山田さんも小さな頃、やはり私と同じ理由でご両親のお仕事を内緒にされていたそうです。
それを伺った時、ホッとしました。私だけの気持ちじゃなかったんだと。
その日の私の日記 http://2daime.kimono-sakaeya.com/?eid=251052
でも今、山田さんも私も主体的に家業の普及に努めている。
そう考えると、和文化後継者としての、第一の気付きの世代なのかもしれません。
家を継ぐなんて1,000%ありえない!その理由を二つまでお話しさせて頂きました。
「呉服屋はかっこ悪い」そして「寂しさ」
バブル崩壊でお店の経営が苦しくなり、ここにもう一つの理由が加わります。
それは「お金がない!」ということです。
「家を継ぐなんて1,000%ありえない!」も今日でついにパート3。
引っ張りすぎですよね。。。
次回、このバブル崩壊後の「お金がない」と、「父の死」というお話をもって、区切りたいと思います。
恐れ入りますが、もう少し私の半生にお付き合いください・・・。

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