31st 5月 2007

芸者さんに育てられて

月末の木曜は、お茶のお稽古もお休み
一つ、店の成り立ちを考えてみようと、
古い資料を取り出してみた。
 

30年前の店のノベルティー(叔父の宝物)
地縁・血縁もないこの埼玉で、
どうやって父達は48年前、店をスタートさせたのだろう?

呉服屋といえば、通常その土地で何代も続いていくことが多いのに。
新参者がどうやって、
一時期には百貨店とまで豪語し、
何名かの雇用を守り、
大きく仕事をしていたのだろう?
台帳には
「千代谷」「菊」「ヨシエ」「イクヨ」・・・
などの屋号や源氏名、つまり芸者さんたちの名前が・・・
弊店のある大宮は、
昔は東京の奥座敷といわれ、
花柳界(芸者さんの世界)がとても華やいでいた。
一時期は200名以上の登録があったそうだ。
そうなのだ、芸者さんたちの力も
お店の支えとなっていたのだろう。
共に、地縁、血縁のない埼玉で、
一緒に未来を作ってきたのだ。 (未来は今は過去になっているが)
(そのころの芸者さんはたいがいが
田舎からの出稼ぎでそのまま移住されることが多かったのです)
未だに交流のある菊姉さんは言ってくださる
亡き父は、なかなかの人物だったと。


(菊さんは写真嫌い。 なんとか横顔を撮らせていただきました)
「菊さん なんでもうちの反物もっていっていいよ。
出世払いでいいからさ」
と、言っては、若い芸者さんたちに良い物を着てもらおうと
努力をしていたと。
そして、芸者さんのお世辞だろうが、
「さかえ屋さんで呉服作ったっていったら、
ステイタスなんだったから」
とも言ってくれる。
今では残念なことに、大宮の芸者さんは8名ばかり。
菊姉さんのお嬢さんのぼたんさんも芸者さん道に。
昨年私は店に入ることになり、ご挨拶に伺うと
「これからは若い者同士、大宮を盛り上げ行こうね」
と、励ましあった。
そして、もっとありがたいことに、
弊店が移転して、
店が小さくなったので、
イベントができる会場を探していると
 

(ボタンさんとうちの初代  私と同じく、初代にかかるとこの麗しいボタンさも「ゆりちゃんのちっちゃなときからしってるんだから~」)
菊さんもぼたんさんも「うちを使って」と、
二人が開いている割烹を使えるよう取り計らってくれたのだ。
値段を伺うと

「そんなことで貸すんじゃない。
お金払うんだったら貸さないからね」

なんて、ありがたいんだろう。

その会場で6月3日(日)
やはり小さいころから愛しんでくれた
江戸友禅染絵師の先生を招き、
イベントが出来ると思うと、
なんと幸せなんだと感じる。

そして、さらに埼玉の友人のケーキ屋さん
当日、お店で無料の試食会をしてくださる。
彼女もやはり、ケーキ屋さんの二代目だ。

地縁・血縁がないからこそ、
私は埼玉は人情が熱いと思う。

商工会の仲間もそうだ。
困っていればそりゃ無料で広告スペースをくれ、
愚痴りたいときがあれば、
何も言わず飲みに連れて行ってくれる。
そして嬉しいことに、
そんな埼玉でも大きな会社の経営している方々が
言ってくれるのだ
「女将(彼らはそう呼ぶ)!
うちのところより、女将のところのほうが歴史が長いんだからね
すげーよ」

京都では100年はひよっこだか、埼玉では50年は誇れるらしい。
お店は今年で48歳。 父が生きれいれば今年80歳。
さあ、私が何年でつぶしてしまうのだろう?
せめて父の享年(60歳)を越えてやろう!とは思っているのですがね。
どうかみなさんつぶれる前に遊びに来てくださいね!
2日は下駄のすげの実演会を開きます!(見学は無料です)
http://event.kimono-sakaeya.com/?eid=524488
そして、このブログも6月末で終了させていただくことにした。
(改めてご案内させていただきます。突然で恐縮です)
これからは、もっと店を大切にしていかなくてはならない
そいうことも考えてアルクさんの取り計らいです。
だって驚いた「社長=店の顔」と言われたのだ。
そうだそうだ、もっと店番しないとな・・・


(3歳の私 創業当時の店の前で このころは店を継ぐより、ピンクレディーになりたかった)

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